最後の皇帝18-反撃カール5世チュニス制圧

1535年6月、スペイン、ポルトガル連合軍約3万人がアフリカのチュニスを目指した。艦隊が到着し、兵が上陸すると、3週間に渡って海陸からの砲撃が実行された。7月14日より聖ヨハネ騎士団を先陣として突撃が開始され、連合軍はチュニス港を制圧した。

港から10キロの行軍は、運搬用の馬を乗せてきていないため難渋した。その間を狙い、ハイレッディンは5万の軍で攻撃してきたが、海賊はやはり陸戦ではスペインに勝てず、退却を与儀なくされた。ところが都チュニスでは、元の王が帰ってきたということで、ハイレッディンに門を閉ざしてしまった。

普通ならハイレッディンのオスマン軍は全滅の危機であったが、連合軍の兵は、砂漠を行軍してきたうえに戦闘のストレスで、敵をほったらかしてチュニスに入って略奪を行ったのだ。これはカール5世が、士気をあげるために、都に入れば何でも欲しいものが手に入ると言っていたせいでもある。

兵士は3日間略奪を行い、その間にハイレッディンは逃亡した。ここで逃がしたことはあとに禍根を残し、ハイレッディンは、その後エーゲ海の島々を征服して、再度キリスト教連合軍と決戦することになる。しかしオスマンを破ったことは皇帝カール5世の威信を強くさせた。

下はウィーン美術史美術館のチュニス征服タペストリー下絵カルトン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。