イングランドではマキャベリストのトマス・クロムウェルが生き生きと仕事をして、修道院を解散、その財産を没収していた。聖職者やシスターは一般人となり、結婚した者も居る。一方グラントンベリー修道院長のように抵抗した者は処刑された。
ルターの言うように修道院は無用とは言い切れない、実際ペスト禍のときは各地で修道僧やシスターが治療にあたった。病院兼福祉施設の「救貧院」は修道院付属施設だった。修道院を無くした国では新たに「公的福祉」を作らざるを得なくなるのである。
ところが、ヘンリー8世は憂鬱であった。王妃アンは後に女王となる娘を出産していたが、1536年初め、王妃アンは男子を死産したのである、この日は前妃キャサリンの葬儀の日だった。英王は、はじめからわかっていたとはいえ、アンの姉と関係していたことが、近親相姦として罪にあたるとまた悩み出した。
そして36年9月19日、アン王妃は、姦通罪、近親相姦罪でちょうど1000日目に処刑された。アンは、王妃を簒奪した女として国民から憎まれていた。処刑に臨むアンはむしろ嬉しげだったと伝えられる。しかしその処刑のわずか10日後、英王はジェーン・シーモアと結婚するのであった。
BBCドラマよりアンの処刑だいたい記録通り
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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