教皇クレメンス7世は苛立っていた。アウグスブルクの帝国会議では、皇帝カール5世は何もせんではないか。それどころか、公会議を開催せよと言ってきた、ひょっとすると自分を退位させるつもりなのか?さらにイングランド。ヘンリー8世には離婚を早まるなと言っておいたのに勝手に離婚して再婚した。
1533年に仏王太子アンリとメディチ家カトリーヌ・デ・メディシスの結婚の仲介をしたのがせいぜい。新教の異端者どもは、自分を偽イエスだと言っていてどんどん支持を広げている。自分にできることはないか?ということでシスティーナ礼拝堂の正面に「最後の審判」を描くことを思いついたのだ、異端者共よ、審判の日を怖れるがよいわ!
そこで呼び出されたのがミケランジェロだった。彼はフィレンツェで、役人の監視のもとで、メディチ家礼拝堂とユリウス2世廟の仕事をしていた。が、ユリウス2世廟の規模はヴァチカンの手を離れてどんどん縮小する一方だった。未完の彫刻ばかり残っていった。
教皇とミケランジェロはフィレンツェとピサの間の修道院で会見した。反乱への加担を許してもらったミケランジェロに断ることはできなかった。彼は命令通りローマに行った。がその2日後34年9月25日、クレメンス7世は崩御したのだった。
下はレオ10世廟(左)とクレメンス7世廟双方ともミケランジェロ作
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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