トマス・モアの怖れていた事態が起きた。1534年4月モアは家族に別れを告げた。その後親しい友人に「私は神のおかげで戦さに勝った」と言ったという。そしてモアは、王位継承令には署名したが、国王首長令宣誓には署名しなかった、そこには教皇の教会首長権の否認が含まれていた。
モアはかたくななカトリックではない。むしろエラスムスと同じくカトリック改革派で、今のヴァチカンは問題だらけと思っていた。しかしキリスト教の分裂を容認することは絶対できなかったのだ。モアはそのままロンドン塔に幽閉され、1年後斬首された。もちろん署名しなかった者は悉く処刑された。
一方、フランスに居るカルヴァンは、いよいよカトリックと決別して秘密裏にパリに戻り、地下宣教活動を始めた。そして34年10月「檄文事件」が起こった。パリやオルレアンのあちこちにカトリックを攻撃する檄文が貼り付けられた。何と王宮にも貼り付けられた。
面目をつぶされたフランソワ1世は激怒、檄文を貼った者を密告すれば報奨金を出すということで数十人が逮捕、処刑された。翌年1月には新教の出版を禁止、ルター派も禁止した。しかし、ドイツに対しては、これは国家反逆罪の処罰であると言い訳して、支援を継続した。
下は映画「我が命尽きるとも」よりトマス・モア最後の弁論。独裁反対のようなことだったと思う
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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