壮麗帝の挑戦5-スレイマン大帝の4重冠

「何三太夫、カールが皇帝戴冠をしたとな?」「はは、私は大宰相イブラヒム・パシャでございますが。全くスルタンこそがヨーロッパ、いや世界の皇帝でございます」。「そうじゃろう、よし身の程を知らせるためにもう一度遠征ぢゃ」1532年4月、スルタンスレイマン1世は3度目のハンガリー遠征に入った。

皇帝カールは、新教ともフランスとも講和を結び、後顧の憂いなくウィーンへ入城し、オスマンを待った。すわ両者の対決!と思いきや、オスマン軍はハンガリー南部をゆるゆると動き、ウィーン南方に入った後、シュタイヤーマルク地方を攻略して、グラーツに入城した。

「おや、オスマンめ、一向に来ぬではないか」「はは、さすがのスレイマンめも、皇帝自ら来たとあっては正面からは来ぬかと」「つまらぬ、今こそウィーンの皆の前で叩きのめしてやろうと思うたに」ということで肩透かしをくらったカールはスペインに引き上げた。

「おや皇帝め、ちっとも門から出て来ぬではないか」「ははっ、正面からスルタンと戦うのは恐れたかと」「ええいつまらん引きあげじゃ」「三太夫、ワシが真の皇帝が証明された、ワシにふさわしい冠をつくれい!」ということで大帝は、ヴァネツィアに注文して教皇より多い4重冠を創ったのだ。

下左は4重冠を被ったスレイマン大帝右はドラマオスマン帝国外伝の中の4重冠

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。