我ここに立つ21-スイス戦争ツィングリ死す

アウグスブルク帝国会議後、1531年9月に仏王母ルイーズ、11月に皇帝の叔母ネーデルランド総督マルグリットが亡くなった。貴婦人の和を達成した幼馴染は同時に旅立ったのだ。翌32年1月5日、カールは実弟フェルディナンドをローマ王に封じて後任とした。息子にしなかったのがいかにもカールらしいが、後にゆらぐことになる。

しかしドイツでは、旧教側の教会財産返還要求が出され、これに応じたくない新教諸侯らがシュマルカルデン同盟を結んだ。ルターは軍事的抵抗には反対し、その影響でザクセン候は消極的となり、ヘッセン方伯がリーダーとなった。

10月11日、チューリヒで伝統あるザンクト・ガレン修道院を新教側が収容しようとして遂に戦争が始まった。このカッペル戦争は旧教側が勝利し、ツィングリは戦死して、その遺体は4つ裂きにされた上に火刑に処せられた。スイスではいち早く新旧教の現状承認の和議が成立した。

英国では、ヘンリー8世が、モアの自然法を期待したがいっこうにらちがあかない。彼の中では間違っているのはヴァチカンだと確信するようになった。元大法官ウルジーは結局反逆罪を着せられ、護送途中で病死した。31年、英王は英国教会に自分が最高首長であることを認させた。トマス・モアは大法官という立場に疑問を持つ。

下はツィングリの死

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。