最後の皇帝12-イタリア戦争スレイマン進軍

1526年3月、カール5世はポルトガル王女イザベラと結婚26歳、そして翌年生まれたのがスペイン最盛期君主フェリペ2世である。隣国とはいえ、ここでポルトガルの血が入ったことが、次代でポルトガル吸収につながるとは思わなかっただろう。

新婚の喜びの中でやってきたのは、こともあろうに教皇クレメンス7世が仕組んだフランスの裏切りとイタリア戦争だった。まあカトリックのために尽くした皇帝はガックリ来た。皇帝はさっそくイタリアに軍を出し、フランス側についたミラノを破り、占領した。仏王フランソワ1世は人質に息子を出しているので、強気には出られなかった。

しかし、フランスはオスマンを煽ることには成功した。4月、スレイマン1世は、欧州が分裂していることを見て、300門の大砲と6万人の兵でベオグラードからハンガリーに進軍した。ハンガリー軍は3万と加勢3万あったが、ドナウ川沿岸モハーチで、ハンガリー軍が加勢を待たずに戦闘に入り、オスマン得意の火砲攻勢にさんざんな敗退、国王ラヨシュ2世は戦死してしまった。

9月、スレイマン1世は、首都ブダペストを占領。嗣子がなかったため、ハンガリー王位は王妃の兄ハプスブルクのフェルディナンド大公が継ぎ、ハンガリーは、オスマンとハプスブルク、トランシルバニアに三分割された。

下はオスマンにハンガリーが敗れたモハーチの戦い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。