英国離婚王2-ヘンリー8世離婚を決意

さて、その頃イングランドでは火山の煙がふつふつと湧きあがっていた、いわずと知れたヘンリー8世である。1509年に結婚したキャサリンとは仲睦まじく、3人の男児と2人の女児を授かったが、育ったのは16年に生まれた女児、後の女王メアリ1世だけである。王子が生まれないことに英王には不安と疑いが芽生えてきた。

実はキャサリンは元兄嫁である。兄嫁を娶ることはキリスト教では禁止。ところが父ヘンリー7世の強い要望で、教皇ユリウス2世は、この2人は結婚期間が短く実の夫婦ではなかった、という理由で、特別免状をこの結婚に与えたのである。これも離婚の際の足かせとなる。

ヘンリー8世は、人は赦してもやはりこの結婚を神は赦していないと思うようになる、そしてそれはローマ教皇というものへの疑問につながってゆく。英国ではこの件で何回も審議会がもたれたのだ。

27年、王はアン・ブーリンと恋仲となった。実は姉メアリーも王の愛人、姉の境遇を見たアンは「王妃じゃなきゃイヤイヤイヤ」と言う。王はようやく離婚を決意し、腹心のトマス・ウルジーに命じたが、キャサリンは皇帝カールの伯母に加え、教皇特免を出した関係でクレメンス7世との交渉ははかどらなかった。

下は二大女優が共演した「ブーリン家の姉妹」より姉が出産するのに妹に近寄るヘンリー8世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。