我ここに立つ19-自由意志対奴隷意志

宗教改革は「エラスムスが卵を生み、ルターが孵した」と言われる。エラスムスは、聖書がすべての人に読まれるべきと宣言し、新約聖書のギリシア語・ラテン語対訳はルターも使って、ルターのドイツ語訳聖書の原版となった。ルターはこの有名な学者に支持してもらうよう手紙を書いている。

エラスムスもルターが、カトリックを改革してくれることを望み、寛容な扱いを諸方面に要請した。ところがルターが新教をつくり影響が広がると、エラスムスにも批判が集まり、ルターもどんどん違う方向に行ったので1524年「自由意志論」を発表、翌年ルターは「奴隷意志論」を発表した。

エラスムスは、欧州を渡り歩いた自由人らしく、自由意志を肯定し、自由意志によって善を指向できる、と主張する。ところがルターは、信仰なくば人間が善をしても傲慢になるだけだ、と反論する。そしてそもそも神は全能なので、人間の意志は計算に入っていて、実は神の意志をやってるだけだ、という。

結局この論議は残念にもルターがケンカ腰のため、エラスムスがやめてしまった。ルターの立場からは、プロテスタント的決定論、エラスムスは啓蒙主義につながってゆく。決定論の立場で両者を統一しようとしたのがへーゲル主義の「理性の狡知」である。現教皇フランシスコは、他宗教でも無神論者でも、善をすることで一致できる、と説いている。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。