1525年から宗教改革は、民衆のエネルギーを失い、領邦領主と都市リーダーを中心として進んでいった。ドイツの領主達のねらいは、教会の資産の没収と皇帝からの自立であった。都市も同じようなものである。ルターの父は、鉱山事業で成功した事業家だったが、ルターの思想にはかなり反映している。
聖職者による神の恩寵を否定したルターは、それを得るには何より仕事に勤勉であることを唱えた。そしてカトリックは、いろんな聖者のお祭りがあってすぐ休んで飲み食い騒ぐ、と攻撃している。これは日本のように農民の風習である。
文化人類学者レヴィ・ストロースは、「未開」といわれる人々の研究から、蓄積を拒否する文明を唱えた。祭によって貴賎の別なく、皆寄って飲み食いし、コミュニティの平等を確認しあい、蓄積によって貧富の差や身分階級が発生するのを防いでいるというのである。しかしルターの恩寵は最終的にはわからない。人間は不安のうちに仕事に励む、つまりワーカーホリック?
24年にはヘッセン方伯がルター派となり、そしてドイツの北、ドイツ騎士団総長アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクが、25年ルターの勧めによってルター派に改宗、ここにプロイセン公国を称し、ポーランドの領邦となった。首都ケーニヒスブルクは、この後ルター派の中心となってゆくのである。
下はポーランド王に承認されたプロイセン公
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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