皇帝カール5世はというと、反乱の後始末でスペインに釘付け。そして手元にはやっかいなカードがあったのだ、仏王フランソワ1世という。スペインに連行して幽閉、イタリアとブルゴーニュをよこせと言ったがうんと言わない。
おまけにフランスは母大后で崩れてこない。あまつさえイングランドを引きこんで助命をしてくる。幽閉しているうちに、贅沢慣れをした仏王が病気になってしまった。死なせてしまうと自分の責任ということで、話相手になって直談判をすることになった。押し問答を決着させたのはなんと皇帝の姉だった。
帝姉エレオノーレが仏王といい仲になっちゃって、愛ゆえかどうか、ブルゴーニュもイタリアも放棄をOK、1526年1月マドリード条約が成立した。摂政ガッティナラは信用せず、先に仏領ブルゴーニュへ進攻しろと進言したが人のいいカールは、仏王を信用した。一応息子2人交換の人質は取ったのだが。
3月、仏王は嫁を手に入れて、帰国。舌の根も乾かぬうちに、イタリアはやるからブルゴーニュはやらない、と言いだした。人質は金と交換しよう、と。そして何とまあ、教皇クレメンス7世も加わって、対カール「コニャック同盟」が出来たのだ。後年カールが「認めたくないものだな、若さゆえの・・」と言ったかどうか定かではない。
下は病気になったフランソワ1世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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