農民の「12条の要求」への回答は、1525年4月2日「ユディカの日」になされることとなった。実は諸侯側には、国を追われていたヴュルテンベルク候ウルリヒが、仏王フランソワ1世のもとで亡命先のスイスから攻め込んでいたという事情があった。ところが2月24日仏王がパヴィアの戦いで捕虜になり、スイス兵が引き返した。
諸侯連合のシュヴァーベン同盟は強気となり、要求などおこがましいとの声が主流となった。農民側も革命派が力を持ち、戦争準備のため城や修道院を襲いはじめた。結局4月2日は和解の日ではなく開戦日となったのである。
諸侯側では、ウルリヒを退けた司令官「死神」ゲオルク・トルホゼースに結集した。死神はライプハイムに向かったが、農民達は分かれていて周辺の略奪に気を取られてしまった。農民達は騎兵の突撃に敗北し、首謀者の首は刎ねられ、生涯返せない罰金が課せられた。
しかしそれより北のフランケン地方オーデンヴァルトでは、フロリアン・ガイアーなどの騎士が参加し、強力な「大挙集団」という8千人の軍隊が組織された。大挙集団は、農民を殺していたヴァインスベルクのヘルフェンシュタイン伯を攻め、戦略をもって城を陥落。伯爵をはじめ夫人も含め18人が処刑された。
下は農民に襲いかかるシュヴァーベン同盟軍
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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