壮麗帝の挑戦4-スレイマン,ロードス島攻略

危機は東からもやってくる。ベオグラードを陥落させたオスマンのスレイマン1世は、聖ヨハネ騎士団の本拠であるロードス島を攻めた。メフメト2世の攻略失敗の後、騎士団はオスマンの民間船を略奪して、独りよがりの聖戦をやってたのだから無理もないっちゃないのである。

スルタンはまず、騎士団に退去させる条件で降伏を勧告、騎士団は新教皇ハドリアヌス6世に援助を要請したが、皇帝はスペインの統治で出られず、東副帝フェルディナンドもハンガリー対策で手いっぱいだった。

1522年、約700隻でイスタンブールを出航、島を包囲し、7月得意の火砲で攻撃を開始した。この難攻不落の要塞の攻略は困難を極めた。しかし、祖父の失敗に鑑み、大将ムスタファ・パシャは、エジプトから食糧を、トルコから弾薬というサプライを整えていた。

逆に守備兵は弾薬が足らなくなりピンチに陥ったが、半数が戦死、戦病死してもまだ陥落はしない。そこでオスマンは、降伏勧告から和平へと切り替え、財産をもって退去でき、残る島民は信仰の自由を保障するとの条件で、12月20日島は陥落した。聖ヨハネ騎士団は放浪の後マルタ島に落ち着くが、スレイマンは大いに声望を高め、一方教皇はさらに苦しい立場となった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。