最後の皇帝9-改革派教皇ハドリアヌス死す

カール5世は、ロードス島陥落の報をスペインで受けた。スペインに帰国して、何よりもコムネーロスの乱の後始末で多忙だった。それに金もなかった。中世の制度を色濃く残すスペインを改革していったのは、ブルゴーニュから来たガッティナラだった。さらにナッサウが財務改革を行った。

カールはナポリにロードス島を救援するよう指示したがロードス島が陥落した後は、オスマンへの十字軍を起こすよう各国に使者を出した。しかしカールは、フランス王フランソワ1世がオスマンと組んでいると疑った。そして昵懇の教皇ハドリアヌス6世に手紙を書いた。

しかしハドリアヌス6世は、キリスト教国一致が重要と考え、両者を調停し、3年間の停戦を提案した。が、まあ実るわきゃない、すでに両者は戦争準備、画策を開始していたのである。1522年6月、カールと英ヘンリー8世との間で、フランス挟撃のウィンザー条約が結ばれた。

そして7月、英国はカレーから出撃して、ピカルディとブルターニュを略奪してまわった。資金難のフランソワは、かつてから不仲の大元帥ブルボン公シャルルの領地を没収、これで完全にキレたシャルルはカールの側についた。23年9月、両者を和解させようとしていたハドリアヌス6世が崩御、開戦は時間の問題となった。

下は教皇廟の教皇ハドリアヌス6世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。