大航海時代23-マゼラン,フィリピンに死す

スペインに帰ってきた船にマゼランは乗っていなかった。マゼランは前年1521年4月27日にフィリピンで殺されていた。本当は来た航路を帰る予定だったが、太平洋横断などは残りのクルー達は二度と御免で、もう航路が開かれていたインドからアフリカ周りで帰った、世界一周はそのおかげである。

実際当初から彼の計画は甘かった。リオデジャネイロに海峡があると思っていたのはラプラタの大河だった。そこで南下するものの、南米大陸最北付近で厳しい冬を迎え、案の定フォンセカに任命された幹部が反乱を起こした。やっとのことで鎮圧したマゼランは11月27日、ついにマゼラン海峡を抜けたが一隻は難破、一隻は反乱し、3隻となった。

マゼランは新たに出た海を航海の無事を願い「太平洋」と名付けた。ところが一向に陸が見つからない。19人が餓死し、3月6日グアム島を発見したのは幸運だった。そこからフィリピン諸島に行き、4月7日セブ島の王と会見した。

ここでマゼランは何とキリスト教の布教を始めた。宗教的情熱もあったが、自分の領地にしたいという野心もあったようだ。セブ王達は喜んで改宗したが、近くのマクタン島の王ラブ=ラブが従わないというので、60人で出撃。しかし1500人もの先住民には叶わず、また船員達もシラけており、マゼランは戦死した。結局目的の香料諸島には残りの船員が行ったのである。

下はマゼランの最期とセブ島のラブ=ラブ王の碑

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。