最後の皇帝8-レオ10世崩御皇帝側近が教皇

1521年12月1日、レオ10世が崩御した。本人は平和主義者で性格は温和だったが、ただメディチ家の坊っちゃん育ちで、世間知らずな派手好きということが、免罪符の大量発行と宗教改革を呼んでしまった。亡くなったときは、ヴァチカンの金庫は空で借金だらけだった。

カトリック改革の希望を乗せて選出されたのが、ハドリアヌス6世、何を隠そうカール5世のブレーンのアドリアンである。彼はアメリカ先住民を人間として認めるブルゴーニュ生まれの敬虔な人文主義者だった。新教皇はさっそく贅沢を禁止したが、ヴァチカンのバブルでまわっていたローマの景気は悪化し、ブーイングが起きた。

皇帝カール5世は、スペインに帰る前にロンドンに寄って、ヘンリー8世と会見をもった。この頃のヘンリー8世はルターを批判する「七秘跡の擁護」を発表し、レオ10世から「信仰の擁護者」という称号を授かるほどのカトリック支持派だった。カールの狙いは完璧な対仏包囲網であった。

そしてカールは仕上げに、仏王と不仲の大元帥シャルル・ド・ブルボンを引き抜きにかかった。22年9月、スペインに帰ったここではカルロス1世のもとに、世界一周を終えたマゼラン艦隊が皇帝を祝福するように寄港した。

下は「カルロス聖なる帝国の覇者」よりカール5世とヘンリー8世の会見このときは英王妃はまだ皇帝の伯母キャサリン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。