1520年、オスマンのセリム1世が崩御し、いよいよその子26歳の壮麗帝スレイマン1世が即位した。即位後さっそくスルタンは、父セリムによって拘留されていた、ペルシャ商人やエジプト貴族を解放し、イスラム全体の守護者としての姿をアピール、父の専制主義を見直す姿勢を示した。
直後旧マムルークの反乱があったが、鎮圧してからは彼の目標は「クズル・エルマ(赤いリンゴの国)」西方をめざすことであった。翌21年、スレイマンはさっそくハンガリーに軍を起こした。ハンガリーは、オスマンに貢納金を払っていたが、1516年に即位したラヨシュ2世は、それを拒否し、口実を与えた。
スレイマンはベオグラードを包囲し、連日大火砲攻撃を加えた。包囲から2ヶ月後、城内に裏切りにより、城塞最大の塔が爆破され、守備軍は降伏、難攻不落と謳われたベオグラードは陥落した。そして住んでいたギリシャ正教徒は、イスタンブールに連行され、現在「ベオグラードの森」と言われる所に住まわされた。
ラヨシュ2世の姉は、結婚政策により、皇帝弟のフェルディナンドの王妃となっていた。このため、オスマン対策はハプスブルクの主要問題となり、ますますドイツ内部の問題はますます二の次にされることになった。
下右はスレイマン大帝肖像左はベオグラード侵攻
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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