インディオの使徒5-ラス・カサスの計画皇帝承認

実はこの頃ラス・カサスもスペインに居たのである。1517年ヒエロニムス会士がいうことをきかないため、国王に訴えるためまた帰国。しかし摂政ヒメネスは瀕死の床にあり、ラス・カサスは、新王カール(カルロス1世)の宮廷に行き、カールの廷臣で人文主義者のソヴァージュの信任を得た。

ラス・カサスは、先住民に自治を与え、スペイン人は、自分達で開拓を行うという献策をし、カスティーリアで、開拓農民を募集した。ところが、18年ハイチで天然痘が流行して島が荒れ、この案は潰れてしまった。しかしラス・カサスはあきらめず、ヴェネズエラの平和的植民計画をつくった。

ヴェネズエラの植民計画は、金や真珠の採掘によりスペインが潤うことも見込んだ、これまでよりも現実的な計画だった。ラス・カサスは王室付け司祭となり、20年ドイツに向かう国王の後をついて直前のラ・コルーニャの港で、「インディオは自由な人間で、人間としてキリスト教に改宗するべき」というアドリアン枢機卿に感銘したカールの承認を得た。

しかしそのとき、国王に捧げられた見事な金の財宝を観たが、これはコルテスがメキシコから国王に送ったものであった。19年、ユカタン半島を探検していたコルテスはアステカ王国を発見した。ヨーロッパもアメリカも激動の時代をラス・カサスはまた新大陸に出発する。

下左はアドリアン枢機卿の計画を承認するカール5世右はアドリアン枢機卿

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。