伝統的な教会用語はラテン語である。ていうかカトリックは20世紀の第2ヴァチカン公会議までミサはラテン語だった。ほとんどの民衆はラテン語など知らない。だから聖体のホスチアを「ありがたや」と頂くのがミサだった。日本仏教が漢語のお経を唱えているが、意味を問う人はいないだろう。
もちろん民衆の知識欲に応えて、説教師が重要となってきた。しかし神の言葉はあくまで教会聖職者を通して聞くものであった。これは結構一理ある、宗教や聖書は専門の宗教者が必要なのも確かである。
しかしグーテンベルクだかが活版印刷を発明してからというもの、都市を中心に知識は紙の上で広く流通していった。そしてエラスムスの「痴愚神礼讃」がパリで大ブームとなったように、当時のヴァチカンや聖職者の批判は、もう俗界の中では流通していたのである。
新教は、この流れに乗って加速した。ドイツでの出版物の種類は1517年までには毎年100種前後だったが、18年には150種、19年には250種、20年からは600種にまで増えている。宗教改革とはメディア革命だった。しかし旧教のネガキャンに使われたのも事実で、現代のSNSを使った扇動はこの時代になぞらえられている。
下はプロテスタントの宣伝「真の教会と偽の教会」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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