ライプツィヒにやってきたルターは、一人の男と知りあって、彼をツヴィッカウの説教師として推薦した。この男こそ後にドイツ農民戦争の指導者として有名となるトマス・ミュンツァーだった。後にお互いを批判し合って、ルターはこの反乱に自分は責任ないと言うのだが、少なくとも間接的にはある。
それはともかく主不在の神聖ローマ帝国において、皇帝選挙準備が進んでいた。フランス派シェルブール候の死で、祖父皇帝に仕えたガッティナラが最側近となりカールは、ブリュッセルの留守番役の叔母マルグリットに、フランス王に負けないと決意の手紙を書いた。しかしそれは前代未聞の金権選挙をすることだった。
この選挙で仏王フランソワ2世は純金1.5トン、西王カールは2トンを費やした。現価格で純金1トンは490億円、まあ選定候は7人だものね、現代でもワールドカップやオリンピックの開催国決定には金が動くといわれているが。ともかくフランスは民に税金をかけ、売官を行い、ドイツはフッガー家等に借金しまくってどちらも反乱を準備したというわけである。
皇帝選挙本番は1519年6月28日に行われ、金と叔母マルグリットの活躍で、全員がカールに投票し、カールは19歳で、神聖ローマ帝国の皇帝となった。しかしその頃ルターの周りには信望者が結集し、どんどんドイツ語でパンフレットを発表していた。
下は「カルロスー聖なる帝国の覇者」より
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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