我ここに立つ7-ライプツィヒ討論絶体絶命

1519年1月17日、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が、後継者を決まらないまま崩御した。この時点でドイツは国主を失いバラバラになったわけである。ルターは教皇特使ミルテッツと、双方公的に意見を発表しない合意をして、事態は沈静化に向かうと見えた。

そして6月27日から、ザクセン候のもとで、ライプツィヒで討論を行うことにした。ヴァチカン側はルターも尊敬する神学者ヨハン・エックが立った。はっきり言って、こういうディベートは、何でも真正面からしゃべるルターは不利。最初は神と恩恵についての神学論争だったのだが。

討論は教皇権の問題に移った。エックは「教皇権を認めないなら異端ヤン・フスと同じではないか」と問うた。これに対してルターは、「フスにも福音的なものがある」と応え、最後には「教皇も公会議も、謝りを犯すこともあった」と言ってしまった。

してやったり、とエックが思ったかどうか定かではないが、明確に異端として処刑されたフスを絡めることにより、ルターが、自分はフスと同じ異端です、と認めたということになったのである。もうルターの破門の運命は決まってしまったと言っていい。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。