我ここに立つ5-ルター「95か条の論題」

《95か条の論題》ついにやっちまっただー。といってもルターがヴィッテンベルク城の門の前にこの提題を貼りだしたかどうか定かではない。マインツ大司教アルブレヒトに手紙を書いただけ、という説もある。さらに彼は、自分の同僚にも同じ手紙を書いた。これが回覧されて広がる。といっても掲示も手紙も現代の学術雑誌の論文のようなものだったのだ。

しかし免罪符だけでなく、当時の教会は乱れていた。貴族の長子相続が徹底され、長子以外は修道院へ行かされ、修道院は貴族の宮廷と化していた。その上、教区統合で修道院長が司教を兼ねるようになり、権限と金が修道院の貴族に集中していたのである。

末端の聖職者といえばまるで管理されず、これもキリストの教えを説くのではなく、ただ聖者のグッズを売ったり、怪しげな聖遺物を売ったりして、金を得ていたのである。ルターやエラスムスのような者も憂いていたが、彼らも彼らなりに不満を募らせていた。神学者といえば、スコラ的屁理屈を並べていた。

ルターの真面目な問いかけは急速に支持を広げていた。翌18年春にハイゼルベルクでアウグスティヌス派僧団会議が行われたが、むしろルターに好意的であった。教皇レオ10世も「まあいつものこっちゃ」と軽く思っていた。しかし事は自分の借金の問題、これでは金が集まらず、権威が危ない。教皇も動き出す、なんかなあ。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。