最後の皇帝4-祖父皇帝悲願ならず逝く

皇帝マクシミリアンは、不穏な動きを察知していた、仏王フランソワ1世がローマ王を狙って動いているという。それだけでなく、推薦資格を持つ選定候7人のうちトリーア大司教とプファルツ宮中伯が落ち、他もわからないというのだ。皇帝は本気で工作に当たることにした。

そして当然のことながら教皇レオ10世を敵にまわせるわけがない。ルターなんざかまう暇などない。1518年7月7日、機先を制して皇帝はアウグスブルクに帝国議会を招集した。その地に入った皇帝は、デューラーに、あの有名な肖像画を描かせた。後世に残す自分の姿を意識してのことだった。

「会議は踊る」ではないが、表のことよりも華麗なるパーティを含めた票の買収が真の議題だった。皇帝は、縁戚結婚、特権供与を含めて必死に票集め工作を行った。そしてその費用はスペインもち。皇帝の思惑としては、そのまま投票に雪崩こみ、一気に孫カールをローマ王にしてしまうことであった。

しかし最後で教皇が待ったをかけた。先にマクシミリアンはローマで戴冠すべし、というイチャモンである。フランスの入れ知恵、これで精根果てた皇帝は、アウグスブルクを去り、死の床に入ってしまう。その後に、この議会にルターがやってくるのである。

下はデューラー入魂、皇帝マクシミリアン1世最後の肖像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。