1517年初め、ブルゴーニュ公カールはスペイン行きの準備で忙しかった。その前年、実質国王フェルナンド2世が崩御。幽閉されていた女王「狂女ファナ」の代行で摂政となったトレド大司教ヒメネスは、国内の反乱ムードにファナの息子カールのスペインでの戴冠を要請したのだ。
新たにスペイン王にもなったカール17歳だが、スペインへは行ったこともない。ともかく叔母マルグリットに留守を任せ、官僚ともども出発。9月に到着したカールは、1カ月かけてトルデシリャスに赴き、幽閉されている母女王ファナと面会した。
ファナといえば、夫イケメンフィリップを亡くしてから時が停まっていた。いや動かしたくなかった。服を着るのも、食事をするのも、眠ることさえ拒否していた。訪ねてきたカールに「少し見ないうちに大きくおなりだねえ、ほんとにお前は私の息子かい?」と言ったという。しかしカールはこの可哀想な母を40年後に亡くなるまで共同君主として処遇するのである。
当時の首都バリャドリードでは、弟のフェルディナンドと初めて面会した。弟は祖父フェルディナンド2世のもとで育てられ、次期スペイン王の期待が高かった。そこで弟をブルゴーニュに送るのだが、これがオーストリアとスペイン2つのハプスブルクをつくることになる。
下はスペインドラマ「カルロス華麗なる帝国の覇者」より母との対面シーン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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