万能の人19-ダ・ヴィンチ、フランスに死す

1515年フランス王となったフランソワ1世は、2メートルの美丈夫だったという。人文主義者に育てられ、派手好きでポジティブ人間。彼もまたヴィスコンティの血筋でミラノの継承権を持ち、さっそくミラノへの進軍を宣言、8月15日騎兵1万、歩兵3万の勢力がアルプスを越えた。

ミラノ公マッシミリアーノとスイス傭兵はミラノ北部に防衛線を引くが、新仏王の先遣隊は迂回してミラノ軍の背後を奇襲して勝利、そしてフランス軍はミラノを包囲、ミラノ連合軍と周辺の小村マリニャーノで激突した。フランソワ1世はここでも軍馬に乗り派手に活躍し、ヴェネツィア軍が援軍をして大勝した。

10月4日ミラノ入城、教皇レオ10世は戦さが嫌いで、12月フランスと和議を結ぼうとボローニャで和平会議が行われた。このとき、教皇はダ・ヴィンチに歩いて胸部からユリの花がこぼれるライオンの玩具を依頼、ここでダ・ヴィンチがフランソワ1世と面会するのである。

人文主義者に育てられたフランソワ1世は、60歳を越えていた老マエストロに感激、フランスへ招待した。ダ・ヴィンチはフランソワ1世ゆかりのクロ・リュセ城に住み、晩年の3年間を過ごしたが、王が創ったシャンボール城の設計をしたといわれている。そしてダ・ヴィンチの残した3枚の絵がフランスをルネサンスの後継者と言わしめるのである。
下は有名なアングル作

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。