春の嵐17-マキャベリ「君主論」を執筆

さてフィレンツェを放り出されたマキャベリ43歳は、仕方なく別荘に住んで農業のかたわら、夜には勉学にいそしむ。彼は新たにフィレンツェを支配したメディチ家に仕官を志し、そのために書かれたのが有名な「君主論」であり、1516年にフィレンツェ君主となった小ロレンツォに捧げられている。

この書は、「物事について想像の世界のことより、生々しい事実を追うほうがふさわしい」と書かれているように、主にイタリアの現実からのリアルな教訓を記した書である。「何事につけても善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中で破滅せざるをえない」。

この言葉は理想を掲げたルネサンス思想への批判である。時代の基調が変わったのである。マキャベリもエラスムスも、ルターも同じ現実を見ている。マキャベリはそして「自分の身を守ろうとする君主は、よくない人間にもなれることを習い覚える必要がある」と記するのである。

ただ彼は、勝つために何をしてもよい「マキャベリズム」という悪名を立てられたが、これは誹謗である。どちらかというと、プラグマティズム=実用主義に近い。「同郷の市民を虐殺し、仲間を裏切り、信義や慈悲心や宗教心も持ち合わせない事柄を、君主の徳と呼ぶことはできない」とも書かれている。しかし実際欧州で統一的権威が崩壊すれば何でもありになる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。