春の嵐16-共和制フィレンツェの崩壊

教皇ユリウス2世の突然の対仏戦争で、フランスと同盟を結んでいるフィレンツェは右往左往。お鉢がまわってきたマキャベリは三度目のフランス訪問。結局うまくいかず、フランスは自分勝手と書いた。君主論でも、「りっぱに領土を保持しようと心がけた人達が守ってきた方策を何一つやらなかった」からイタリアを失って当然。しかし高等法院は評価している。

結局フィレンツェは教皇から睨まれ、同盟軍は、枢機卿ジョヴァンニ・デ・メディチを先頭にフィレンツェに迫り、さすがにこの大軍には臣民軍も歯がたたず、1512年共和国ソデリーニ政権は崩壊、フィレンツェはメディチ家支配に戻った。マキャベリは最初、職に留まったが陰謀に加担したと逮捕され、追放されてしまった。

ところがこの同盟も、ミラノの領主とヴェネツィアの領土について意見がまとまらず、ヴェネツィアはまたしてもフランスと組んで、翌13年またもや仏軍がミラノに侵入。ところがノヴァーラの戦いに負け、なんとここで、掟破りの英王ヘンリー8世がフランスに侵入した。

ルイ12世はスコットランドを使ってイングランド攻撃。戦争は多国間に拡大してしまった。しかし1513年2月、総元締めといえるお騒がせ教皇ユリウス二世が逝去し、教皇同盟はうまくいかなくなり、英仏は和平を結び、フランスはピンチを逃れた。

下は教皇となって改めてフィレンツェを訪問したジョバンニことレオ10世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。