壮麗帝の挑戦1-イランのサファビー朝誕生

1511年、イランの地でサファヴィー朝が成立した。久々のイランの王朝であるが、これはシーア派だった。もともとはカスピ海西南岸のスンニ派神秘主義教団だったのだが、地域的に大勢を占めるシーア派に改宗し、勢力を拡大していったのだ、民族的にもトルコ系が多い。

1494年、この教団を7歳で継いだシャー・イスマイールは、彼を見た西洋人が「あまりにも美しく、邪悪なものを感じるほどだ」と言われたほどのカリスマ美男。加えて詩人であり、99年に亡命先から檄文を発し、その力で白羊朝を打ち破り、アゼルバイジャンを制圧して王朝を建国した。

シーア派は、イスラム第4代正統カリフのムハンマドの従弟アリーの子孫を正統派カリフと認める宗派。スンニ派は、アリー以降のウマイヤ朝から、ムハンマドの血縁でない者をイスラムの指導者としている。イスマイールのサファビー家は、ササン朝とムハンマド両方の血をひくとされ、イランでウケないわけはない。

イスマイールは、その詩才でオスマン内部のシーア派に立ちあがれとプロパガンダを行った。オスマンのバヤズィト2世の政治は内向きで、三男セリムが1512年にイエニチェリの支持のもとクーデターを起こし、スルタンを廃位、セリム1世となって即位した。父バヤズィト2世は隠棲先で程なく亡くなった。

下は魅惑的なイケメンシャー・イスマイール

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。