インディオの使徒2-聖職者が先住民虐待非難

1506年末、ハイチに居たラス・カサスはローマへ赴き、ここで司祭叙階を受けた。22歳での司祭叙階は当時としては異例の早さである。翌年末、彼はハイチに戻り、開拓民と同時に、聖職者として、スペイン人の告解をきいたりしていた。もちろん先住民を使役していた。

先住民分配制度は、新総督オバンドがイザベラ女王に願い出て許可を受けたもので、スペイン人に一定の先住民を与えて、労働させるかわりに、キリスト教と文明を教える制度とされた。もちろんタテマエは先住民は自由民であったが、現地においてはそんなのカンケーねー。

1510年、新大陸に多くのドミニコ会の聖職者がやってきた。それまでとは違いこの人達は本格的に勉強をしてきた聖職者達で、ラス・カサスは、もっと早く来ていたら、災厄が少しは防げただろうにと書いている。

そして翌11年、モンテシーノス神父が、ついにスペイン人の先住民虐待について非難する説教を行った。ラス・カサスは記している「さあ皆さん答えなさい、あなた方は一体いかなる権利、いかなる正当性をもって、これらのインディオを、かくも惨めな、かくもおぞましい奴隷の状態で所有しているのかを」「一体これらの人は人間ではないというのか」と。

下はドミニカのモンテシーノス像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。