英国離婚王1-最初は仲睦まじきヘンリー8世

1509年4月22日、イングランド王ヘンリー7世が崩御し、その息子が17歳で王位を継いだ。7世は大陸に領土をもたない英国の基礎をつくった名君とされる。そして8世、父は息子のために最高の家庭教師を次から次へとつけて、当代最高のインテリジェンスをもったプリンスにした。

さらにスポーツ、騎馬試合なんでもござれ、ロンドンブリッジの橋脚の間の激流をくぐり抜けるアドベンチャーが好きだったそうだ。そして2ヶ月後の6月、1502年に死んだ兄の嫁キャサリン・オブ・アラゴンと最初の結婚をした。この結婚は、強国スペインとの関係を続けるために教皇ユリウス2世が特別に許可した。

新王は政治に興味を持たず、豪勢な結婚式の後は、またパーティ、狩猟、テニスと遊びまくった。キャサリンとの仲は睦まじく、王子を生んだが夭折、あとの子も同じで、メアリしか育たなかった。男子の欲しいヘンリーは、だんだん別の女性が欲しくなってくるのである。

また1510年、突然父の代の重臣2人を逮捕し、反逆罪で処刑してしまった。自分に逆らう人間をあっさり処刑する性癖はこのころから生じている。そして重用されたのがトマス・ウルジーである。野望の大きいヘンリー8世は、対フランス同盟にも参加し、大陸領土復活を狙うのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。