万能の人14-ルネサンス美術ヴェネツィアへ

さてヴェネツィアというのはなかなかやっかいな都市なのだ。思想宗教的に言えば、もともとビザンティンのギリシャ正教のテリトリー。ところが第四回十字軍に乗っかってコンスタンティノープル攻撃の旗を振った。その結果、教皇から街ごと破門をくらっても平気の平左というバチ当たりぶり。

実際共和国が創られたのは697年、それ以来イスラムからもビザンティンからも占領されず、共和国を守ってきたから年季が入っている。しかもその独立した立場を生かして、イスラムとも商売をして、第4回十字軍でカイロ攻撃を反故にし、15世紀のピウス2世の十字軍計画も失敗に追い込んだ。

海の守りは、何せ複雑な干潟に入らねばならないのでまず困難。それに加え、15世紀半ばには商業国家から金融国家へと転換を計り、周辺沿岸都市や内陸部都市をも併合していた。1494年、印刷王アルド・マヌッツィオがここに印刷所を設け、「神曲」を活版印刷して大ヒットを飛ばした。そしてダ・ヴィンチの訪問を契機に、その画風を学んだ画家が華麗なヴァネツィア派絵画が芽生え始める。

ヴェネツィアは、フランスと組んでミラノ、フィレンツェを追いおとし、オーストリアの領土も侵食した。1508年6月6日、この領土を確認するため、ハプスブルクと講和を結んだが、フランスの了解なしに行ったため、ルイ12世の怒りに触れた。そしていよいよ反ヴェネツィア同盟が結成されるのだ。

下はティントレットの「レダと白鳥」(左)右は元となったダ・ヴィンチの模写

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。