1506年神聖ローマのマクシミリアンの息子でスペイン王継承者のフィリップが28歳の若さで死んだ。その前からフィリップの浮気で精神を病んでいた王妃ファナは完全に理性を失したように見えた。なんと、ブルゴスに葬られた夫の遺体を掘り出して、遺言通りグラナダへ葬ろうと自ら葬列の馬車に乗った。
こりゃいかんと、女王イザベラの夫でアラゴン王フェルディナンド2世は、再びカスティーリア摂政に就いた。しかしまあフェルディナンドはハプスブルクのスペイン支配を阻止するため、フランスのルイ12世と秘密交渉を行い、仏王の姪ジュヌヴィエーブ@18歳と再婚していた。
さらにイングランドのヘンリー7世まで、ファナの再婚を申し出た。つまり、英仏神聖ローマがスペインの王位継承で、武器なき戦いを行っていたわけである。神聖ローマのマックスは、ファナとフィリップの子、カールが王位継承できぬなら、スペインと戦争するといきまいた。
フェルディナンドと新妻の間には男子が生まれ、仏王はしてやったりと喜んだが、幸か不幸か夭折してしまった。1508年、ファナはトルデシリャスに幽閉され、「狂女ファナ」と呼ばれたが、我が子カールに王位を継がせることは頑として譲らなかった。
夫の柩と旅するファナ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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