コロンブスは1502年に最後のチャンスを得た。ヴァスコ・ダ・ガマのインド到達に慌てたスペイン王室が、今度こそインドへの航路を見つけてくるよう求めたのだ。しかし植民地管理の下手さはわかっていたので、ハイチには絶対行かないようにと釘をさした。
5月11日150人を乗せた4隻の船で彼は出航した。それに先立ち2月、再度新総督が受勲修道騎士ニコラス・デ・オバンドが任命されて2500人、32隻の大船団でハイチに向かった。その船団に17歳のラス・カサスも乗っていた。彼もまたそのときはブームに浮かされた移民団の一人だった。
コロンブスは、途中でハリケーンに気付き、警告しようとハイチに向かったが、新総督がきく筈がない。結局前総督の帰国船はハリケーンに巻き込まれて沈没してしまった。しかしコロンブスの現地財産を乗せた小舟は無事で、コロンブスは資金を得た。
コロンブスは南へ行き、パナマに到着。なんとまああと少しで太平洋を見つけるところで捜索を打ち切ってしまった。彼の最後の航海もまた難渋を極め、またもや先住民と諍いを起こして1504年8月に虚しくスペインに帰国した。しかし国では、イザベル女王が死の床についていた。その後コロンブスも1506年に亡くなった。
下はグラナダのイザベラ女王とコロンブス像
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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