チェーザレの反乱鎮圧は、ダ・ヴィンチの親友も巻き添えにしてしまい、1503年初めにはフィレンツェに戻った。ダ・ヴィンチは、イーモラとヴァルデキアーナのまるで航空写真のような詳細な地図を作成し、戦略をサポートしたが、実際的にはアドバイザーだったようだ。
チェーザレは転戦に継ぐ転戦で、ダ・ヴィンチと話し合う暇はなかったろうし、事件も連続して起こった。そしてダ・ヴィンチとくれば、実際の戦争を見て「愚劣だ」と思った、それがルネサンス知識人である。なおゲーム「アサシンクリード」では、ダ・ヴィンチのつくった戦車などに乗れる。
チェーザレは、いよいよフランス王と対立してしまい、ここでスペインに乗り換える決断をしたようだ。実際ナポリでフランスは劣勢に陥っていた。しかし8月、ローマを襲ったマラリアに父教皇と共に罹ってしまい、父教皇が亡くなる。本人も続いてその病に倒れた。
そしてすべては逆転した。反ボルジア同盟ができ、枢機卿団は、新教皇を選出するコンクラーベの間、ローマ退去を命じた。新教皇ピオ3世は反ボルジアではなかったが、ヴェネツィアらが、金で教皇軍の傭兵を引き抜く。なんとピオ3世は29日で亡くなり、ライバルのユリウス2世が教皇となった。
下はゲーム中のダ・ヴィンチ戦車ですがどうみても人力じゃ無理
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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