前宗教改革9-サヴォナローラ市民の手で処刑

サヴォナローラはちっともローマに謝りに来なかった。アレクサンデル6世は「聖フランチェスコならわしにひれ伏しに来ただろうに」と言ったらしい。自分をあの大教皇インノケンティウス3世と同じと自負している。確かに政治力はたいしたものだが、信仰は月とスッポン。

1497年、ついに教皇はサヴォナローラを破門した。これに対し、サヴォナローラは各国に教皇批判の手紙を書き、公会議開催を訴えた。しかしその手紙はいちはやく教皇がつかんでいた。教皇は、内部からはライバルのフランシスコ会を使って陽動し、外からはフィレンツェ大使に脅しをかける。

もともと自由でまとまらないフィレンツェっ子は、いいかげんお堅すぎるサヴォナローラに飽きてきた。厳格すぎる戒律生活は商売にならず、飢饉が起こりご威光にも陰りが見える。翌98年、フランシスコ会が「預言者なら火の中を渡っても平気なはずだ」と挑発をかけると、彼らはのってしまった。

4月7日、準備万端整った。ところが雨が降ってきて、このイベントは中止になった。民衆の怒りは爆発。サヴォナローラの修道院に侵入して、政府委員につきだした。裁判が行われ、彼は絞首刑となり遺体は焼かれた。ミケランジェロは、96年にはフィレンツェに帰ってきて、この一部始終を見ていた。

下はゲーム「アサシンクリード」のサヴォナローラの処刑。とどめを刺すことができる

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。