1498年4月7日、事故でフランス王位シャルル8世が急死。その翌日親戚オルレアン家のルイ12世が即位した。王の死で動いたのはルイだけではない。未亡人となったアンヌ・ド・ブルターニュもである。アンヌは、シャルルとの間に4人の子をももうけていたが男子は夭折していた。
アンヌは、さっそく故郷ブルターニで、フランス王代行としてブルターニュ公国の長を宣言した。そしてブルターニュ三部会を招集して、宰相を任命。ブルターニュを半独立化してしまった。あっという間の早技であった。
新王ルイ12世は、即位から3日後、アンヌと結婚することに同意した。実はアンヌとシャルルとの結婚契約書に、男子がなければ次期王と結婚すること、と書かれていたからである。ということで新王はなんと、王妃になるはずだった妻との結婚無効をローマ教皇アレクサンデル6世に願い出た。
しかし今回の結婚では、ブルターニュでの女性の相続が認められ、アンヌが公国の主人という権利を奪回した。アンヌはブルターニュを繁栄させ、今も当地で尊敬されている。しかしルイ12世とも2人の子供(女性)をつくっているので、名目だけではなく、やることはやったのだろう。ちなみに離婚されたジャンヌは修道会をつくり列聖された。
下はブルゴーニュに凱旋するアンヌ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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