やれ好色だの強欲だのと言われるアレクサンデル6世であるが、実はかなりの仕事人である。サヴォナローラと対決するかたわらで、スペインとポルトガルの世界争奪の調整をしたり、教皇領保全の軍を編成したり。きっと彼は、宗教者ではなく、一国の宰相となればすばらしく有能だったのだろう。
そして息子のほうはもっと正直だった。チェーザレというのは今でもカエサルのことを指す。この名をつけてなぜ枢機卿=坊主にしたのだろうか?そして1496年、教皇軍総司令官であった弟ホアンが敗北し、翌97年6月、そのホアンがローマ市内で暗殺された。チェーザレはその下手人候補の一人である。
98年7月、チェーザレは枢機卿会議において自ら「枢機卿及びバレンシア大司教の地位を返上する」と表明した。彼は、フランスに領地をもらい、新たにヴァレンティーノ公爵としてフランスから俗世を再出発することとなった。この時父教皇は、息子をどう見ただろうか?
フランス王シャルル8世は、スペインと組んで、イタリアへ捲土重来マンマンだった。ところが98年4月、なんと鴨居に頭をぶつけるという信じられない事件で27歳の若さで崩御してしまった。王の子はいずれも夭折していたため、その夢は、オルレアン家のルイ12世が継ぐこととなった。
下はチェーザレ・ボルジア、その横はシャルル8世の事故
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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