教皇アレクサンデル6世は、最初サヴォナローラに枢機卿の餌で釣ろうと思ったが釣られないとみるや、権威で威圧することに替えた。教皇にひれふせと。しかしそんなことはムダムダムダアであるね。
ところがカタブツの修道士は、真正面から弁明の手紙を送ってきた。まるでイランとアメリカのやりとりのようで、やればやるほどこじれていく。教皇は、いよいよ修道士の預言者ぶった説教を禁止したが、翌年の復活祭前の四旬節には、説教を再開してしまった。そしてヴァチカン批判を始めたのだ。遂にはローマに神の怒りが落ちるとまで言い出した。
サヴォナローラの説教に感動していた青年が居る、名をミケランジェロ・ブォナロッテティ。彼はロレンツォに才能を見いだされて庇護を受け、人文主義にも影響されたが、この修道士にも影響を受けた。それはミケランジェロの後半生に開花するだろう。しかし政情不安でボローニャに避難した。
97年、教皇はサヴォナローラの修道院長職を解任した。しかしサヴォナローラはいっそう過激になり、2月7日に、フィレンツェの煌びやかで古典的な美術工芸品、装飾、人文主義の本を市庁舎前広場に集めて焼いてしまった。世に言う「虚飾のかがり火」である。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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