春の嵐2-反仏同盟に仏王シャルル敗北

仏王シャルル8世は、ローマに入りナポリ王の承認を求めた。教皇アレクサンデル6世は承認したが、サンタンジェロ城まで放棄せよと言われて城に閉じこもり抵抗した。仏軍はたいした抵抗もなくナポリ入りして領土宣言をした。仏軍がチョークで線引きしたら領土になったというので「チョーク戦争」と称される。

しかしアレクサンデル6世は、反仏包囲網の構築を密かに行っていた。そしてマクシミリアンには、「フランス王が皇帝になりたがっている」と脅しをかけた。マックスは了承し、1495年に戦費調達のための帝国議会を招集したが、「イタリアなんて関係ないし」と動かない。マックスは彼らの権利を大幅に認める永久ラント平和令を出し、この後皇帝はまったく名ばかりとなった。

ナポリでは、仏軍はのんびりとサンタルチアを歌い、士気は緩みまくっていた。しかし反仏同盟が組まれたことを知り、シャルル8世はフランスへの帰還を決意する。実はこの帰還で、ナポリのルネサンス芸術をごっそりフランスへ持ち帰り、フランスでルネサンスが開花するのである。

フランス軍は帰還の途についたが、前のナポリ王アラゴン分家のフェランテ2世と、アラゴン本家のレコンキスタで鍛えられた名将ゴンサロが追いかけまわす。ミラノのルドヴィコも寝返り、ついにフォルノーヴォの戦いで両軍は決戦し、激戦の後仏王は辛うじて帰国を果たした、実はこのときがイタリア統一の最大のチャンスだったということだが。

下はティントレット作「フォルノーヴォの戦い」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。