1493年9月25日、コロンブスは17隻の大船団で出航し、前よりも一週間早く発見した島々に到着した。そこでまたドミニカ島などを発見した。11月7日、前の航海で作ったハイチ島居留地に到着。ところが残してきた船員は全員死んでいた。現地の酋長も確認し、捜査したところ、居留民が女性の取り合いをしたり、非友好的な部族の所へ侵入した結果らしい。
コロンブスはこの地をあきらめ、別の場所にイザベラという女王の名にちなんだ居留地をつくり、連れてきた者たちが本格的な町をつくった。しかし近くの先住民の部落から伝染病が広がって、人口はあっという間に減っていったのだ。もっともそれは先住民も同じことで、ヨーロッパから持ち込まれた免疫のない伝染病はむしろ彼らに災厄をもたらした。
ピンチに落ちたコロンブスは、12隻の船を帰国させて、救援物資を持ってこさせることにした。その指揮官となったのが、王よりお目付けとして派遣されていたアントニオ・デ・トレスだった。彼は帰国するや、コロンブスの植民がうまくいっていないことや、黄金はあまりなさそうだということを宮廷中に触れてまわった。
助けが来ない植民地イザベラでも、コロンブスへの不信が目立ってきた。無責任なコロンブスはそこを弟にまかせて、船に乗り込み、セント・トーマス島で砂金が取れることを発見した。しかし戻ってみるとイザベラの状態はますます悪化し、一刻も早く成果を出したい、彼は、中国(と信じるキューバ)へ行って大汗を探しだそうとした。
下はイザベラ村の入植地跡
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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