イタリアの春9-春の黄昏ロレンツォ死す

さらに1492年、フィレンツェの僭主ロレンツォが亡くなった。亡くなる前になんとサヴォナローラに告解しようとしたといわれている。この修道僧は、82年にフィレンツェのサンマルコ修道院の院長となるや、フィレンツェの堕落ぶりを批判し、信仰に立ち帰るよう説教を行い、メディチ家に批判的な市民の人気を博していた。

サヴォナローラをフィレンツェに招いたのはピコ・デラ・ミランドーラというのが面白い。ミランドーラは86年に教皇によって異端の疑いで捕えられ、ロレンツオの金で釈放された。無邪気で、政治的影響などは考えていなかったのが、人文主義の限界である。

サヴォナローラはロレンツォの告解にあたって、神への信仰、不正な仕方で得た富の放棄を求め、ロレンツォは承諾した。しかしフィレンツェの人々に自由を与えるように求めると、ロレンツォは背を向け、サヴォナローラと決別したと伝えられる。フィレンツェの繁栄も峠を越え、我儘になった人々はメディチ家に批判を強めていた。

ロレンツォの死によって、イタリアのバランスは崩壊。そして同年、ヴァチカンで、インノケンティウス8世が亡くなり、ロドリゴ・ボルジャ枢機卿がかつてない金権選挙で、教皇アレクサンデル6世となった。彼は以前の教皇よりもさらに世俗的権力を求めて、イタリアの政治に介入する。ルネサンスは嵐の時代を迎えようとしていた。

下はロレンツォのもとを去るサヴォナローラ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。