「なんだってえええ」ブルターニュの姫アンヌの婚約に、仏王シャルル8世は結構慌てた。というのも、王はマクシミリアン1世の娘と父の命令で結婚してしまっていたからだ。思えばマックスにはこの手でブルゴーニュを奪われてしまった。仏王は「王の承諾なしの結婚などまかりならぬ」とプレッシャーをかけ、大軍を率いてブルターニュを包囲した。
白馬の王子マックスは駆けつけるかというと、国元で大事件発生。ハンガリー全盛期を築いたマーチャーチュ1世がウィーンで卒中で急逝したのである。この頃でもまだウィーンはハンガリーが支配しており、父皇帝フリードリヒ3世は、「ブルターニュなんぞよりウィーン奪還ぢゃ」と、マックスに軍を進めさせ、ウィーンは奪還、しかしその後始末に忙殺された。
ブルターニュでは待てど暮らせど来ない君、ここで仏王シャルル8世、アンヌに結婚を申し込む。前の結婚は、といえば、なんと教皇インノケンティウス8世に金を渡して無効にしてしまった。教皇は贅沢三昧で金で何でも動いたのだ。1492年アンヌは仏王と結婚、シャルル8世はブルターニュを手に入れ、さらに前妻マルグリットを再婚させて、ネーデルランドを手に入れようとする。
一歩遅れてブルターニュを取られたマックスは、フランスに宣戦、アルザスからブザントンを陥落させた。このときに彼が使用したのが、スイス傭兵を真似た歩兵部隊ランツクネヒトである。93年、シャルル8世とマックスは講和し、マルグリットの帰国とネーデルランドのマックスの領有が決められた。両者引き分け。しかし翻弄されたアンヌとマルグリットは逞しくしなやかに生き、一方ブルターニュの母となり、他方は皇帝カール5世の養母となる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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