帝国対王国9-帝国マックスの結婚攻勢

1492年はいろんなことが起こった年である。この年に神聖ローマとフランスが対決する。しかしその前に89年に遡る。ローマ王となったマクシミリアン1世、マックスは、ドイツ領内の問題解決にあたった。一族でオーストリアに大きな領土のあるジークムント公は、バイエルン公アルブレヒトに大きな借金を背負っていた。

バイエルン公は、チロル地方を抵当に取ってここを領有しようと狙っていた。そこへマックスは割って入り、借金を肩代わりすることでチロル領有に成功した。チロルは、ドイツ、イタリアの間で、フランドルに入る交通の要衝だったので、この地を取ることで、フランドルと連絡がより密となった。さらに鉱山から銀と銅、塩が産出された。この採掘権をフッガー家に与えることで、フッガー家はハプスブルクを支えていく。

マックスは、チロルのインスブルックに居を構え、改革を行い、武器工場を建設し、芸術家も養成した。93年にはジークムント公が放蕩のあげく嫡子なく亡くなったので、マックスはオーストリア全土を戦いなく手に入れることになった。

1490年、フランスで問題が発生。フランスが海に突き出した角の一つ、ブルターニュ公国も、王権の支配を受けない国であった。ブルターニュ公フランソワ2世は縁談を各国にもちかけて独立を保とうとしており、マックスはこれに乗って娘アンヌと婚約をした。ライバルのフランス王シャルル8世は結婚しているので手出しできないはずだった。

下は美女の誉れ高きアンヌ・ド・ブルターニュ。実はたいへんな賢女

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。