スペイン異端審問はすでに1480年に始まっていた。異端といって標的にされたのは、コンヴェルソというユダヤ人改宗者、モリスコというイスラム改宗者だった。彼らは本当は元の宗教を捨てていないとスパイされ、些細な口実で拷問にかけられ、火刑に処せられた。教皇シクストゥス4世は厳しすぎると批判したが、ここでスペインの側に立ったのが、ボルジア枢機卿である。
1483年トルケマダが異端審問長官に任ぜられると、彼はイザベル女王の聴聞僧となり、ますます権力をふるまうようになった。そしてスペイン国内に居る非改宗ユダヤ人を追放するよう提案した。当時スペインには30万人のユダヤ人が居り、経済的にも力を持っていた。両王は躊躇し、コルドバなどで改宗するよう警告を発した。
ところがユダヤ人達は、改宗せずに他の町に出ていった。トルケマダの強硬策がとられ、彼は容赦なくユダヤ教徒に近付いたとされる改宗ユダヤ人達を審問していった。そして町々でユダヤ教徒は追放されていった。同時にレコンキスタが進行していった。
1492年、グラナダが陥落すると共に、この街で王立会議が招集された。町の代表は「ユダヤ教徒は必要」と言ったが、トルケマダは冷たく「悪性腫瘍は取り除かねばならない」と言った。両王はユダヤ教徒の追放を承認し、財産をすべて取られて出て行った。そして同年、ボルジア枢機卿は、教皇アレクサンデル6世となった。この追放されたユダヤ人はセファルディムと称され、2015年にようやく復権される法律が制定された。
下はユダヤ人追放令を発するカトリック両王
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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