1492年1月2日、ついにグラナダが陥落した。愚王ボアブディルは父を引退させ、スペインの手の上で、マラガの叔父を見殺しにしてマラガを取れば、貢納金で許してくれると言ったスペインに騙されて包囲された。91年春にグラナダは包囲され、兵糧攻めにされた。王国内部では小田原評定のように、和睦派と主戦派が対立した。
ボアブディルは、対岸のマムルーク朝に援助を要請したが、あれほど勇ましかったマムルークはすっかり文明国家に変わっており、対オスマンで欧州と対立したくなかったので、援助を送らなかった。スペインからのスパイも暗躍して、和平派が有利となった王国は、91年11月にグラナダ条約が締結され、イスラムの権利や信仰は保護されるとなった。
1月、ボアブディルは100騎の共を連れてアルハンブラ宮殿を出た。山腹を昇る途中、ボアブディルは、夕日に照らされるアルハンブラ宮殿の美しい姿を振り返って涙を流した。母は冷たく「坊やだからさ」じゃなく、「男らしく守れなかったからといって、女々しく泣くのはやめなさい」と言ったという。
ボアブディルは、シエラ・ネバダに領地を与えられたが、結局そこからも退去させられて、アフリカへ行かされた。イスラム教徒の信仰と権利が守られるという約束は最初は守られたが、キリスト教徒がやってくると軋轢が増し、暴行やヘイトが横行するようになった。そしてスペイン王家はやがて改宗を強制させるようになる。
下はデオデンク作「ふりかえるボアブディル王」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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