帝国対王国8-再戦!シャルル8世の扇動

1486年、マクシミリアン1世はローマ王になった、27歳。それにひきかえ、父フリードリヒ3世は70歳、父が亡くなるのは93年77歳、ひとえに貧乏による節制がこの長寿を支え、ライバルは皆亡くなるのである、まさに塞翁が馬の典型といえる。しかしあいかわらず領地もなければ金もない。ローマ王といっても名ばかりのマックスはその費用はブルゴーニュから捻出せねばならなかった。

マックスはネーデルランドに税金をかけるが、自立意識の高い商人達は反発し、そこをフランスの新王シャルル8世がつけこんだ。新仏王はルイ11世の知謀と突進公シャルルの野望をもったような人物。たちまち反乱が起こり、88年あろうことかブルゴーニュ公にしてローマ王であったマックスを包囲して幽閉してしまったのだ。

これに対して帝国軍が動く、そこで反徒たちは仏王にブルゴーニュを引き渡すと約束させてマックスを解放した。当然この約束は無効、2万の帝国軍はネーデルランドになだれこんだ。しかし正直なマックスは一旦結んだ約束は守ると言い張ったらしい。「最後の騎士王」と称される所以であるが、これ以後マキャベリズムの時代となる。

ネーデルランドは帝国軍に抵抗し、ローマ王救出という目的を達成した帝国軍は戦う義理もなく、撤退。マックスも父も89年にこの地を引き上げた。しかし討伐軍の司令官、ザクセン公アルブレヒト3世は、マックスに忠誠を誓う古風な軍人で、なんと自費で傭兵に給金を払いながら、4年の歳月をかけて一応平定するのである。後には仏王との確執が残った。

下はマクシミリアン1世のローマ王戴冠

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。