帝国対王国7-世代交代で舞台はイタリア

1483年、フランスの栄光を回復させた蜘蛛王じゃなかった陰謀王、じゃなかった知略王ルイ11世がついに崩御した。しかし王は亡くなる2年前からトゥールの城に籠って外に出なかった。歳老いた自分を見られれば必ず復讐する者が出てくるという、陰謀王らしく読みすぎた妄想であった。そこでひたすら聖母マリアの恵みを願っていたとのことだ。
意外や彼は聖遺物で自分を囲み、死期を伸ばそうと考えていた。そして最後の頼みとして奇跡的治療を行うという(聖)フランチェスコ・ディ・パウロをイタリアから呼び寄せて、彼の前に膝まづいた。残念ながらすでに遅く、聖人は王に終油の秘跡を与えた。後を継いだシャルル8世はまだ13歳だが、王権を確立した父のおかげでイタリアへ進軍する。

さて、この頃、妻を亡くしたブルゴーニュ公マクシミリアンは、まだフランドルで蜘蛛王が張った内乱の中に居た。しかし83年、ユトレヒトの戦いに勝利し、85年6月には、市民の歓呼の中をブリュージュに再入城、7月に首府ガンを制圧し、フランス派を処刑した。そこへやって来たのが父、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世であった。

父子は12月、アーヘンで8年ぶりの再会をした。聞けば神聖ローマ皇帝を継ぐ地位であるローマ王戴冠の準備ができたという。父は、ハンガリーの正義王マチャーシュ1世によって、ウィーンやオーストリアの半分以上を奪われていた。この上は息子を実質皇帝にして頼るほかはない、そして帝国諸侯も、オスマンの圧迫のもとで、頼りない父より息子のほうがいいと思った。世代交代はいよいよ対決へと導く。

下はフランツ・リスト「伝説」より「水の上を歩くパウラの聖フランチェスコ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。