1477年8月18日、神聖ローマの18歳のプリンスマクシミリアン、通称マックスは、歓呼に迎えられてブルゴーニュに婿入りした。妃マリアと彼は愛し合うすばらしいカップルとなった。実はウィーンは当時まるで田舎、妃が見せるもの贈るもの、珍しいものばかりだった。ヨーロッパの都となる壮麗なウィーンはこのブルゴーニュを真似てできたのである。
若い彼の頭は柔軟で、最初のうち夫婦はラテン語で会話していたが、マックスはあっさりフランス語ができるようになった。しかしトンビに油揚げをさらわれた仏王ルイ11世がそのままで居るはずがない。結婚直後からしきりに国境に挑発をかけ、ついに79年8月ギネガテの戦いでまみえることとなった。19歳初陣のマックス対百戦錬磨のフランス軍である。
しかしここでマックスはスイス式密集歩兵戦術を採った。軍は5mはある長槍をもった軽装歩兵が中心で、砲兵を従えた密集戦法でフランス騎兵に挑んだ。戦闘は6時間に及んだが、有利な仏軍は有力な捕虜を捕まえに戦列を離れ、機をみてマックスの主力軍が一斉突撃して、勝敗を決した。
マックスとマリアは、仲睦まじく男女2子に恵まれ、順調な統治を行っていた。しかし好事魔多しというか、82年、狩りの好きな妻マリアが落馬が元で亡くなってしまう。すると国内は乱れ、そこに割って入った蜘蛛ルイ11世は、2歳の長女マルグリットを息子シャルルの嫁にするといってパリに連れていってしまった。そしてネーデルランドは内乱に陥ってしまうのである。
下はやはりブルゴーニュの画家ルーベンス作「マクシミリアンとマリアの結婚
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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