大航海時代4-グラナダ内乱スペイン攻勢

スペインを統一した両王はレコンキスタの完成に向かってまい進した。何と言っても地中海岸は交易拠点である、ここを取らなければ話にならない。グラナダ王国はスペインの南3分の1弱、弱体化したといえどもイスラムの力はあなどれたものではない。ところが1482年王国で内紛が始まった。ハッサン王の息子ボアブディルが反乱を起こしたのだ。

父王には妃が2人居たが、1人はキリスト教徒。彼女を寵愛するので、もう一人の妃が、息子を挑発して反乱させた。息子はアルハンブラ宮殿を占領し、父はマラガに逃れ、国が二分された。スペイン側は絶好のチャンス、首都グラナダの目と鼻の先にアラマ・デ・グラナダが取れると言ってきた。

カスティーリャ軍総帥ロドリゴ・ポンセはその密告に応じ、密かに軍をすすめ、丘の上の町に払暁急襲した。全く油断していた町は占領され、驚いたボアブディルが7000の軍を差し向けたが、この街へ昇るには一本の道しかなく、この要塞は奪還できなかった。レコンキスタの最終局面はこうして始まった。

父王弟アブ・ハサーンは奮戦して、侵攻を留めたが、83年息子ボアブディルは、敗北してスペインの捕虜になり、スペインに臣従を誓って返された。1484年にはグラナダ王国の要害セテニールを包囲して降伏、キリスト教両王国はグラナダ王国の西半分を制圧した。しかし、この戦争には金がかかり、両王は税金は使い果たすわ、各地に借りまわり、村の徴税権まで担保に出すわ、女王イザベルの宝石さえも抵当に入れるほどだった。

下はかつての要塞アラマ・デ・グラナダ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。