イタリアの春8-ロレンツォ暗殺未遂パッツィ事件

1476年12月クリスマスのさ中、ミラノの僭主ガレアッツァ・スフォルツァが暗殺された。このとき教皇シクストゥス4世は「イタリアの平和は死んだ」と言ったが、実際に平和を殺したのは教皇自身である。

1478年4月26日、ついにフィレンツェでクーデターが発生。大聖堂でのミサの最中に、ピア大司教サルヴィアーティとフランツェスコ・デ・パッツィがメディチ家兄弟を襲撃、弟ジュリアーニが殺害され、ロレンツォは負傷した。暗殺者達は市民に蜂起を呼び掛けたが失敗、100人以上が粛清された。

教皇は、ピサ大司教を処刑したという口実でフィレンツェを破門し、聖務停止をした。ところがトスカナ司教は教皇を逆破門した。教皇はナポリと組んで、反フィレンツェ戦争を始める。従わないミラノには、ジェノヴァを離反させ、スイス軍を侵入させた。

ミラノでは、ガレアッツァの弟ロドヴィコがクーデターで実権を奪取、ロレンツォも自らナポリに乗り込み、金も使いまくってなんとか危機を収拾した。そしてルネサンスを彩る二人の僭主の時代となり、なんとかイタリアのバランスは維持された。

下はゲーム「アサシンクリード2」の中のパッツィ事件。当時に戻ってロレンツォを助けて活躍することができる

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。